意識の進化論
今年は、ダーウィン誕生から200年、そして『種の起源』発行から150年だそうですね![]()
世界中でいろいろと関連するイベントが催されているようです。
そんな中、進化論にまつわる話がNature(Essay)に出てました。
"Can evolution explain how minds work?"(心の働きは進化で説明できるか?)
中身に書いてあることは、僕の期待してたことと若干違って、進化の系図で近い動物種どうしでは機能も近いと考えるアプローチは正しいのか、とか、そんな感じでした。一見、人間味のある行動をしていたり、高度な認知活動を行っているように見えても、実際はそうでない場合があるようです。
あるサルが課題をやっているとき、報酬にキュウリをもらっていて、隣のサルが同じ課題をブドウをもらいながらやっているのを見ると、課題をやらなくなります。
これを見て、実験者は『このサルは不公平だということを感じている、公平であるべきという感情を持っている』と考えました。
しかし、後に空のケージにブドウが入っているのを見たときも、サルは課題を放棄しました。
つまり、不公平だと感じたわけではなく、ただ単にブドウが欲しかったから、ゴネたらもらえると思っているだけだったのです。
進化が進み高等になっていくにつれて、連続的に発達していると考えられる部分もあります。
一方で、近い動物なのに見た目には片方がより高度な発達をしているように見えるにも関わらず、解剖学的、また実験上で課題遂行上には何ら差がないということもあり、話は単純でないようです。
僕は『意識』や『感覚』といったものが、なぜ存在しているのか、その意義があるとすればなぜ必要なのか、すごく興味があって、そのようなことを考える上で進化論的な考察はとても重要な示唆を与えてくれるだろうと思っています。
こればっかりは実験で証明することが難しいでしょうが、進化論における自然淘汰の理論を当てはめれば、大昔のある時点で、より明示的な意識を持った群と持たない群があり、何らかの理由で意識を持たない群が淘汰され、意識を持つ群が繁栄し、現在に至ったということになるでしょう。
いったいなぜ、われわれはこれほど高度に発達した意識を持つに至ったのでしょうか。そして、今後この進化はどう進んで行くのでしょうか。。
意識や認知と言われるものが取捨選択の自然淘汰により進化しているとすれば、またその選択が正しい方向であるとすれば、どのような選択を受けて現在の姿になったのか。
意識のことを考えるのはロボットが自分のプログラムを解読するのと同じですごく難しいです。ずっと持ち続けてきて、周りの人もたぶん持ってて、飼ってる犬やそこらへんにいる鳥なんかもおそらく少しは持ってて、そこら中に溢れてるのに、まるで自分の背中のホクロを探すみたいに、考えれば考えるほどむずがゆい感じがしてきます。
そんなとき、たまには、想いを長い生命の歴史へシフトして、広く大きく眺めてみるのもいいかもしれません![]()



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