先日、ついに大学院入試の結果発表があり、京都まで見に行ってきました。
そして結果、無事に合格することができました
受験のときは日程が過密だったので、どうなることかと思いましたが、ちゃんと受験することができ、また同時に卒業試験も通ることができ、ほっとしました
博士課程の受験では、基本的にほとんど落ちる心配はないのですが、内部受験の人が多い中で旭川から受けに行くことなど、若干不安があったので、結果を見るまで安心できませんでした。
これで来春から、ようやく研究者としてのスタートラインに立つことができます
新しく京都で住む部屋も決めてきました。大学からは自転車で10分ほどの距離で、周りには昔ながらの商店街などがあり、便利だしどこかノスタルジックな感じの場所で、すぐ気に入りました。
京都での生活を考えてあれこれ想像していると、今から胸が高鳴ります
人生は巨大なジグソーパズル。1つ1つ、一生懸命にピースを探し、当てはめる場所を見つけ、完成を目指す。
そして死ぬまでそこに描かれた図柄はわからない…
これからどんな新しい出会いがあり、どんなピースが見つかって、どんな絵ができていくのか、自分の人生が楽しみです
京都大学の建学の精神は『自由の学風』です。この精神を全ての学生や教員が尊重しているかどうかはわからないですが、学生の主体性を重んじるというスタンスは比較的根付いているようです。
この『自由』というのは、もちろん、好き勝手に無茶なことをしてよいというのではなく、学生としての社会的債務を背負い、何事にも主体的に取り組まなくてはならないということで、とても共感できます。
この『自由の学風』を象徴するものや事件などがいくつかありますが、その中でもおもしろいのが、『折田先生像』です
折田先生という人は、京大の前身である旧制第三高等学校の初代校長であった方で、その銅像が敷地内にあったそうですが、ラクガキが絶えなかったそうです。
大学側は、『像を汚さないでください』という主旨の看板を銅像の横に設置しますが、効果は無く、ラクガキは続きました。
そのラクガキも、当初はペンキで殴り書きするようなものだったのが、徐々に何かのキャラクタ−に似せたり、衣装を着せるなど、凝ったものになっていきます。
そしてその度に清掃に追われていた大学側は、敷地の整備のついでに、ついにその銅像を撤去しました
ここまでだとよくある話ですが、その後なんと、
台座やネームプレートまでも再現した、New『折田先生像』が、同じ敷地内に、何者かによって突如建立されたのです
しかも、横にあったラクガキを注意する看板も一緒に。
像は、名前こそ『折田先生』であるものの、顔は完全にキャラクタ−になり、横の看板もキャラクタ−に合わせて文言が変えられているのが特徴です。
この像の出来映えがあまりに良かったためか、大学側は撤去はせず、事実上黙認する姿勢を取っているようです。
しかし、何者かに破壊されることが多く、その度に新しい『折田先生像』が建立されるそうで、今では受験シーズンの風物詩のようになっているそうです。
来年は何のキャラクタ−になるのでしょうか
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