大学院生活も終盤に差し掛かり…

ここ最近、将来について少しずつ考えるようになって来ました。
僕は教授になりたいために研究をするわけではないので、就職、ポストといったことについて口にするのはどうしても打算的な感じに見えて気が進まないところもあるのですが、
自分のやりたい研究をするには独立職を得ることが必要で、独立職を得るためには相応の業績が必要となり、
業績を十分に確保するにはやはり学位取得後早い時期の身の振り方が重要になってくる、ということで、
キャリアについて考えることは逆説的に良い研究をすることにも繋がることであり、決して疎かに出来ないことなのです。
当然の大前提として、大学院での研究をしっかりと纏めて学位を穫ることがありますが、それだけで満足してはいけない、と感じています。

あまりに遠い将来のことを考えても現実的でないので、学位取得後のポスドク先と、そこからきちんと助教職に就けるというところまで。
順調に進めば、卒後5〜7年でしょうか。まずはそこまで、きちんと行けるようにしたい。

自分の中で大きな問題として、海外に出るか否か、ということがあります。
研究者として海外のラボで働くということは、一般的な企業での出向と違い、帰る場所が約束されている訳ではありません。
特に自分の専門分野では1つの論文を出すのに数年かかることはザラなので、業績が出た頃には日本のコミュニティに忘れ去られているかもしれません。
人生を賭す、というと大袈裟かもしれませんが、そのくらいの覚悟で行くべきなのかな、と自分は考えています。
ファッション感覚での留学、いわゆる「箔をつける」というようなことで行くなら、リスクが大きすぎるかな、と。
実際に、留学して研究に没頭している間に日本のコミュニティと疎遠になり就職に苦労されてる方とお話する機会もありましたが、やはり現実は厳しい。
どんなに研究に対する熱意があっても、ポストが無ければ思い切った研究は出来ないわけですから…

一方で、そこまでのリスクを冒して海外に出るメリットは、昔ほど大きくなくなって来ていると感じます。
かつては最新の情報や技術は欧米に実際に行って学ばなければ身に付けることはほとんど不可能であり、有力な研究者や国の指導者は留学を通して最新の事項を習得することが一般的でした。
しかし現代では、情報にしてもインターネットのおかげで最新の論文がすぐに手に入るわけだし、技術や業績の面でも、欧米に匹敵するレベルの成果を出している分野が少なくありません。
自分の分野でもそれは当てはまっていて、特に中堅クラスの魅力的な研究者を挙げれば、日本のほうが多く思いつくくらいです。

勿論、海外に出るメリットは沢山あると思うし、正負どちらの面でも、一生涯に渡る影響があるのだろうと思います。
例えば仮に国内で十分に魅力的なオファーがあった場合、それを反故にしてまで海外に出る意義があるでしょうか。

最近、特に年齢の近い研究者と話すときは、積極的にその人が就職において考えたことを聞くようにしています。
留学を勧める人、懐疑的な人、双方居ますし、どちらの考えもそれぞれ共感する部分があります。
しかし、どのような選択をするにせよ、自分は「変化」を訴求して行かなければ、という思いがあります。
例えば今のこの瞬間と、10年後の同じ日を切り取ったときに、同じ延長上で時間経過分に相当する膨らみを持っただけで明示的な変化が無ければ、
そんなモノは金太郎アメのように感じてしまうのです。あくまで個人的な価値観ですが。

自分はどうしても楽をしようとしたり、甘える癖があるので、自分にプレッシャーをかける意味でも、海外へ出ることはより良い選択肢かもしれません。
とりあえず今年は色々と情報収集しながら、じっくり考えたいと思います。

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2011年、雑感。

年の瀬ですね。
今年は3月の震災を筆頭に、世界的に激動の年でした。
個人的にも大小様々な葛藤に直面し、心が揺れた年になりました。

インドでは、医師の大規模ストライキが実行に移され、40人の患者さんが亡くなったそうです。
どんな理由があったにせよ、命を駆け引きの道具に使ったことに変わりはありません。
勿論、心の底からお金のことだけを考えてストに参加した医師は少ないのでしょう。悲しいことです。

よく、「命は地球より重い」と言う人が居ます。
しかし現実には、ほんの端金の代償に、一時的な気まぐれに、そして一瞬の環境の変化によって、
日々多くの命が奪われている。

実は、本当は、命はとても「軽い」のです。
一見すると当たり前にそこにある私達の生活も、何気なく過ごす時間も、
無数にはりめぐらされた生命システムの、奇跡的なバランスによって、かろうじてその恒常性を維持しているに過ぎません。
だからこそ私達は、その羽のように軽い命を、しっかりと守っていかなければならないのではないでしょうか。

私達は時として、三つ葉のクローバーを踏みにじってでも四ツ葉のクローバーを探そうとします。
でも、もし世の中のクローバーの99%が四ツ葉であったなら、きっと人々は三つ葉のクローバーを競って探すのでしょう。
私達は、本質的な価値など無いものに、惑わされ、時として盲目的に追い求めることがあります。
当たり前に存在しているものが、実は大切にすべきものなのかもしれない。
今年は、そんなことを考える契機とすべき年だったのかもしれません。

さて、個人的には、いよいよ大学院生活も3年目の半ばが過ぎました。
客観的に見て、成長した部分もあるし、そうでない部分も多々あると感じます。

昨年から実験が停滞し、満足にデータを出せない期間がありました。
その時期は先が見えず、このまま続けていても報われるのか、と本気で悩みました。
ボスにも、この先どうなるか判らないと言われました。
しかしそれで、このまま続けるのか、それとも諦めるべきか、何ヶ月か悩んだ末に、「あと2年本気でやって、ダメならそこで辞めよう」と腹を括りました。
そう決意して取り組んだ結果、暫く止まっていた歯車が回り始めました。

それで、秋口ごろからは軌道に乗って実験も出来ています。
時間を食ってしまった間に関連分野の研究は進み、時間の猶予はありません。
とにかくもっと自分への甘さを排除して、取り組んで行きたいと思います。

来年は順調に行けばメインの論文の投稿、そして国内外での発表。
就職は何処へ行くんでしょうか。見当も付きません。。
京都の生活も、ようやく自分の土地という実感が出てきました。
ここに残るのか、それとも、縁のある人が何処かに居るのか…
どうなるのかまだ全然わからないけれど、自分の直感を信じて行きたいと思います。

神経科学が、少しでも人々の心を幸せに出来ますように。
今年も去年と同様、京都での年越しを楽しみたいです。

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ヒトの不合理な楽観的思考。

ヒトと他の動物の違いは何か、という問いは有史以来のものであるが、それが単一の特異的な要素として説明できるということは、もはや極めて考え難いことだ。
言語にしても、あるレベルのコミュニケーション手段としての音声利用は多くの動物種に渡って確認されているし、個体識別のための "名付け" を行っていることも報告されている。
逆に、言語障害を持つ人や、言語を未獲得な幼児に対し、「ヒトではない」と思うことも有り得ないだろう。
このように、多くの「ヒト固有の機能」と考えがちな機能が実はある程度のレベルでは広く他の動物種においても実現されていることを鑑みても、ヒトというのは唯一の特別な存在というよりは、あくまで進化の延長線上でいくつかの機能を効率良くチューンしてきた種族と考えるほうが自然だと感じる。

我々ヒトは、手指の精緻さを除けばほとんどの運動機能は類人猿や他の動物に劣るのだけれど、その代わりに多様なコミュニケーション能力を獲得でき、長期的視野に立って高度で知的な判断を下すことが出来る。
この点で我々は他の動物の追随を許さぬ、合理的で最適な状況判断が可能な優れた存在であると自覚するわけであるが、同時に、時に非常に不合理で、客観的に納得のいかない、当人でも説明が不可能な行動をとってしまうこともしばしばある。
そしてこの「不合理さ」もまた、「人間らしさ」と感じているのが、我々である。

先日のNature Neuroscience誌に掲載された Sharot, T らの研究は、そのようなヒトの、一見不合理な価値判断について興味深い知見を報告している。
彼らはfMRIで脳活動を測定しつつ、被験者に「ネガティブなイベント(強盗や、ガンなど)が今後の人生で自分に起こる確率」について推測するよう求められた。
「強盗」「ガン」などと書かれたパネルが1試行ごとに現れ、それについて「15%」「40%」などと推測をさせ、直後にそのイベントが実際に起こる確率が呈示される。
例えばガンになる確率を被験者が10%と推測し、実際は30%であれば、誤差は-20%であり、過度に楽観的に捉えていたことになる。
一方でその確率を40%と見積もっていたなら、誤差は+10%であり、過度に悲観的に捉えていたこととなる。
イベントごとに"楽観的"、"悲観的" のどちらの方向にも誤差が生じ得るのだが、これを一通り終えた後、もう一度同じイベントについて答えさせる。
すると被験者は既に前のセッションで実際の確率を見ていることで、回答を変えることが出来る。勿論、覚えた通りの実際の確率を答えなくともよく、自分は健康に気を使っていればガンの確率が平均より低いと考えてもよいし、防犯に気を使っていれば強盗に遭う確率が低いと考えるのも自由である。
そうして2度目のセッションで得られた推測と実際の確率との誤差を1度目のセッションと比較すると、悲観的な方向へのシフト、すなわち過度の楽観的推測から実際の確率へ近づく推移より、楽観的な方向へのシフト、すなわち過度の悲観的推測から実際の確率へ近づく推移のほうがより大きいという結果が得られた。これはつまり、誤差を利用した学習が対象の好ましさ(楽観的/悲観的)を反映し、バイアスされたことを示唆している。
彼らはさらに楽観的or悲観的思考に相関する脳活動を示した部位を同定し、特に右IFG(Inferior frontal gyrus: 下側頭回)の抑制性の活動強度が、被験者間での楽観的思考の強さの違いを反映していることを見出した。この部位は好ましくない方向への誤差と相関する部位でもあり、悲観的思考をどれだけ抑制するかということが楽観的思考に繋がっていることが示唆された。

自己の能力を過信あるいはリスクを過小評価し、必要なリスクマネジメントを怠る楽観的思考は、しばしば悪い結果を招く。健康問題に関して言えば、どれだけ専門家が警鐘を鳴らしても喫煙や飲酒をやめられない人、避妊具の使用や健診の受診などを怠ってしまうという人は多いだろう。
一見すると不合理に見えるこの誤差学習バイアスであるが、現実的に全ての脅威に対して適切な防御を日々怠らないというのはそれだけでかなりの時間と心労を要するようにも思える。
適度に楽観的に構え、ストレスを軽減することで、生存に有利に働いている側面があるのかもしれない。

<Reference>
Sharot T, Korn CW, Dolan RJ.
How unrealistic optimism is maintained in the face of reality.
Nat Neurosci. 2011 Oct 9;14(11):1475-9. doi: 10.1038/nn.2949.

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本当の感情を推察すること。

この仕事を始めてから改めて気付いたことの一つに、ヒトの感情というのは大元の部分では案外シンプルなものだ、ということがあります。

仕事柄、動物と接する時間が長いのですが、彼らが求めるものを与えれば喜ぶし、彼らの求めるものを与えない、あるいは拒絶するものを与えれば怒る。つまり、喜ぶことをすれば嬉しいと感じ、イヤなことをすれば嫌だと感じるだろう、ということです。

そんなこと当たり前だと思われるでしょうか。でも、一見当たり前のことなんですが、実感できたのは割と最近になってからで、こうしてストレートにフィードバックとしてこちら側へ返ってくるモノが、ヒトの場合は単に隠れているだけで、実は非明示的に内在しているということに、今更ながら気付かされたわけです。

ヒトの場合、他の動物と違って、自分の感情を意図的に隠すことが出来ます。イヤなことを言われても、その人物との関係が重要であれば、笑顔で対応する、あるいは意に反して謝罪をすることもあるし、一方で嬉しいことがあっても、周囲に妬まれて不利益になると思えば、あえてつまらなさそうな顔をしてみせることもある。皆が感情剥き出しになってしまえば、人間関係を維持するのは難しいことでしょう。このように、直感的な感情を抑制し、表面的には異なる感情表現を装うという行為により、我々は必要な人間関係をコントロールし、うまく社会生活を営むことが出来ているわけです。

直感的な真の感情が表出するのを抑制する機構の進化は、ヒトが高度な社会性を有することを可能にしました。しかし他方で、他者の真意を汲み取ることを難しくさせてしまいました。「嫌がってないようだから、もっと厳しくしてもいいだろう」「あの人は欲が無いんだな、じゃあ遠慮しなくていいか」等と、感情の誤認が生じ、後々トラブルの元となることも多々あると思います。

嫌がっていないように見えたのに、後々苦情を言われる、あるいは自分から離れてしまうということがあって、相手が何を考えているか混乱した、何を信じればいいのか分からなくなる、ということは、仕事や恋愛など、人間関係を維持する上でしばしば直面する問題です。
しかし原点に立ち返って、表に出ない感情を推察し対応することを心がければ、表面上の感情表現だけに捕われて傍若無人に振る舞い嫌われる、ということも無くなるはず。

相手の本当の感情を推察することは、日常的に多くの場面で必要になります。特に、多くの部下を統率し業績を上げなければならないような立場なら、尚更でしょう。

自分にとっては、大学時代にアイスホッケー部でキャプテンをやったことがすごくいい経験になりました。素人の団体ではあるのですが、大会で優勝するという一つの目標にうまく持って行くという意味では、もっと上のレベルのスポーツや、社会に出てリーダーとしてチームを引っ張るのと相通ずるものがあったと思います。それで、僕自身はアイスホッケーの経験者でもなく、有無を言わさず指示に従わせるような力は持ち合わせていなかったものですから、如何にうまく他の部員を全体の目標に沿う形で動機づけさせるか、ということに力を尽くしました。

単純に言えば、何か指示を出すときに、「部の方針だから従え」というのでなく、「こうすれば試合で活躍できるよ」という言い方に変えるということです。自分と全体という概念がまだ一致していない状態で全体の利益の為に行動することを強いても、それは十分なモチベーションとして働きません。しかし、その人個人の利益になると思えば、指示もしっかり聞くようになるし、練習もきちんとする割合が高くなります。そうやってある程度上達して試合にも出るようになり、自分がチームの一員であるという自覚が芽生えれば、自然とチーム全体の利益のために行動出来るようになるわけです。

これは細かい指示の出し方にも関わっていて、指示を出すときに単に手順を説明するだけでは不十分ということにも繋がります。ホッケーの練習メニューはかなり複雑で、例えば5人がホイッスルで同時にスタートし、各プレーヤーがそれぞれ異なる手順でポジショニングを変えながらパスを回しゴールへ向かうようなのも多いのですが、このとき「Aがゴール裏からパスを出してBは45度ポジションで受けてスイングしてきたCへリターンパス、そこからサイドをあがってくるDへ繋いで…」と説明して、一応形だけは出来たとしても、試合では絶対に使えません。ちょっとでもその通りの動きが出来なければ、もう何をしていいかわからなくなるからです。

複雑な指示を出すときであっても、単に手順を説明するのでなく、「個々の動きにどういう意図があるのか」をしっかり説明すると、効果的に学習が為されます。ホッケーの例であれば、「敵のFWがここに走ってくるのを見越してこちらへパス、すると今敵のDFはここにいるから…」というようにきちんと「なぜこちらへ走るのか、パスを出すのか」というところまで説明します。「今のようなケースならこちらへパスを出したけど、じゃあ敵が別の方向から来たら?」という風に質問して考えさせることで、より本来の目的が理解されます。このようなことを積み重ねると、試合で敵が普段と違うパターンで攻めて来ても、柔軟に対応できるようになるし、その後のフィードバックも含め練習全体が効率的になってきます。こうして、自分が指示を守り与えられた役割をこなすことが自分の利益に繋がることが理解できれば、より効率的な学習ができるはずです。

会社の仕事なんかでも、「仕事の手順をちゃんと1から丁寧に教えてやったのに部下の理解が悪い、やる気も感じられない」と愚痴を言ってる人は、多いのではないでしょうか。個々の手順の目的をはっきりさせる、さらにそれらをまず個人の利益としてのモチベーションにうまく繋げてやる、ということが出来れば、いい上司、いいチームになるだろうと思います。新入社員などはまだチームや会社全体の利益に関心が低いわけですから、仕事をこなすことが個人としての評価に繋がるような雰囲気を作り、まずはモチベーションを維持させつつ基本的な仕事の能力を身につけさせる、ということが必要になってくるでしょう。

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ストレスと不安行動。

副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)は視床下部から分泌され、間接的に副腎皮質ホルモンであるコルチゾールやアルドステロンの分泌を促すホルモンです。
副腎皮質ホルモンはひろく全身の免疫反応、血圧や電解質濃度の調整などに関わっていることが知られ、その合成薬はいわゆるステロイドとして、炎症性疾患をはじめ種々の治療にも用いられています。
一方で、これらのホルモンとストレスとの関係についても、注目が集まっています。CRHの受容体は脳全体に広く分布しており、CRHがストレスによる行動変化に関係していることが示唆されてきました。

Refojo, D. らのグループは、このCRHの受容体であるCRHR1の分布を従来より正確に観察する方法を開発し、どのようなニューロン群がCRHによって活動の変化を起こすのかを調べました。
ストレスによる不安行動の増加においては、ドーパミンやセロトニン(5-HT)などの神経伝達物質の関与が考えられるので、
彼らはマウスを用いてグルタミン酸、GABA、ドーパミン、セロトニンの4種類の神経伝達物質をそれぞれ分泌するニューロン群を同定し、それぞれのニューロン群におけるCRHR1発現を選択的に抑制することに成功しました。
結果として、グルタミン酸ニューロンのCRHR1をKOした群において、不安行動が通常より減弱する、という変化が確認されました。逆にグルタミン酸ニューロンのCRHR1を過剰発現させた群では、不安行動が増強しました。
ドーパミンニューロンのCRHR1をKOした群では、通常より不安行動が増強していました。すなわち、主に大脳皮質や海馬に分布するグルタミン酸ニューロンと中脳に分布するドーパミンニューロンではCRHの影響が逆方向であり、これらニューロン群がCRHによる活動変化に強く関係していることが示唆されました。GABA、セロトニンの群では、こういった変化は見られませんでした。また、単純な運動や学習についての実験では変化が見られず、CRHR1欠損による影響は不安行動に限定的であることも確認されました。
不安障害のある患者では血中CRHが高値であることからも、CRH分泌と相同的に不安行動の増強に関与しているグルタミン酸ニューロンは、ストレスによる不安行動発現に強く関係していることが示唆されました。
更に、CRH分泌とニューロン活動変化の因果関係を特定するため、扁桃体外側基底核(BLA)グルタミン酸ニューロンの電気活動を観察すると、CRH暴露によってBLAニューロンの活動が増強し、またCRHR1欠損群では活動変化が見られませんでした。
海馬や中脳ドーパミンニューロンにおいても同様に実際の神経活動がCRHによって変化することが示され、CRHは神経伝達物質選択的に脳の活動を変化させ、不安行動を引き起こしていることがわかりました。

現在、ストレス関連の疾患で、CRH拮抗薬が症状改善に効果を挙げたという報告もあるようです。一方でCRHを安易に制御するとなると副腎皮質の働きにも影響するわけですから、こういった薬剤に関しては今後も慎重な検討が必要でしょう。
この研究では単純な恐怖学習ではCRH欠損の効果が見られなかったとのことですが、ドーパミン放出等に関与するとなると、このようなストレスによるホルモン伝達反応が、何らかの形で学習効率に影響を与えていることも考えられるかもしれません。

<Reference>
Refojo D, Schweizer M, Kuehne C, Ehrenberg S, Thoeringer C, Vogl AM, Dedic N, Schumacher M, von Wolff G, Avrabos C, Touma C, Engblom D, Schütz G, Nave KA, Eder M, Wotjak CT, Sillaber I, Holsboer F, Wurst W, Deussing JM.
Glutamatergic and dopaminergic neurons mediate anxiogenic and anxiolytic effects of CRHR1.
Science. 2011 Sep 30;333(6051):1903-7. Epub 2011 Sep 1.

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タイムマシン。

ニュートリノが光より速いとかで、理論上、タイムトラベルが出来るのでは?と、話題になっていますね。
しかし、個人的には、無いかなぁと思ってます。
カミオカンデの実験と矛盾する点も指摘されているし、地球の大気中で行われた今回の実験は、重力や2点間のあいだの物質、装置のことなどいろいろ問題がありそう。
物理なんて素人なんでわかんなんですけどね。

あと、タイムマシンなんてものは、無いほうがいいと思ってます。
だって、未来の結果が判ってしまうなら、過去に戻ってやり直せるなら、「現在」がものすごくつまらないものになってしまうから。
未来の人に結果を訊いて、失敗するって分かってることを必死に続けられますか?
試合に負けるってわかってて、本気で練習できますか?
未来が判らないから、やり直しが利かないから、いま頑張る。現在が価値のあるモノになる。

結果として失敗に終わることであっても、その過程で得た経験が次の成功へ繋がったり、副産物として後々役立つことがあります。結果だけに左右されず、今しっかり頑張ろう、と。

まあタイムマシンが出来たら、それはそれで楽しそうなんですが。

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リスク。

日常的な行動やお金のやりとりなどに於いて、リスクを最小限に抑えるということは重要である。その一方で、短期間で大きな成果を得ることが必要であれば、大きなリスクを冒す場合もある。危険を冒して成功を勝ち取れば英断と讃えられ、時には同じ選択で失敗して無謀と詰られることもある。

所謂リスキーな選択というのはこのように、短期的には損得の差が大きく、長期的に見れば損をする可能性が高い(期待値が低い)行動選択を表す場合が多い。私たちが行動に先立ってリスクを判断するとき、それはどのように脳内で表現されているのだろうか。 

McCoy, AN (2005) は、リスクの強度を反映した神経活動をサル帯状回後部(CGp)で報告した。これはすなわちハイリスク選択時に大きく、ローリスク選択時には小さく変化する活動ということであるが、彼らの課題条件に於いては平均値が等しく分散の異なる幾つかの選択肢を用意し固定の報酬が得られる選択肢と対峙させ選択させるということで、期待値が全て同じであり、先述した一般的なリスクという概念とは少し違うように感じる。 

彼らが報告したこのような神経活動は、リスクというよりは選択-結果連関の不確かさ(uncertainty)を表現するものかもしれない。これもまた、選択と結果を評価する上では重要なシグナルとなり得る。不確かな選択をしたならば、そのように報酬を予測でき、また次試行における予測もやはり不確かな物として扱える。 

実際の行動選択に於いては、単純にハイリスクorローリスクという比較ではなく、必要とする報酬量およびその期限といった文脈依存的に選択が変化する。借金の返済期限が迫っているのに手元にほとんどお金が無い状態で大博打を打つということもあるだろうし、逆に大きな借金でも住宅ローンのようなものであればコツコツ働いて返済していくというローリスクな行動選択をするだろう。 

行動と結果の連関、特にその不確かさについての予測、そして必要とする報酬の量と期限すなわち文脈、こういった複合的な要素からリスクの判断に基づく意思決定が起こると考えられる。 

では、ギャンブル依存のようなことはどうして起こるのだろうか。

自分の周りにも多少そういう傾向の人が居るのだけれど、どうもパチンコなどで勝った時に感じる快楽が非常に強いようで、負けたときでも「次取り返せばいい」と、あまり主観的なダメージがないようである。同時に長期的な結果よりも1日、せいぜい1ヶ月というような、短期的な結果の最大値に関心が強いようである。もしかすると、衝動性という言葉で置き換えられるのかもしれない。

自分は大損するのが怖いのでそういったものには手を出す気が起きないのだけれど、何が違うのだろう。とはいえ、基礎研究に手を出すこと自体、割とリスキーかもしれないけど。

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タマシイ。

先週末は淡路島で医学研究科のGCOE研究会。
相部屋になったメンバーが外国人だったこともあったりして、2日間かなり英語だった。うちのラボは外国人居ないし普段英語を話すことがないので、良い機会。普段話すことの少ない他ラボの方々とも交流できた。
ポスター会場では、去年最優秀賞でしたよね?と何人かに声をかけてもらったり、去年は人多くて話聞けなかったから今年は絶対聞こうと思ってたんですよ、とか言ってもらったりして、少し嬉しかった。

今週末は神経科学大会で横浜へ。
GCOEのほうは大学院のクローズドな会だけど神経科学のほうはオープンで海外のゲストも来るし、若干ポスターの内容を変える。
直前までいろいろと解析を進めてわりとおもしろいデータが出て来たんだけど、こちらに出すのは諸事情により断念。
個人的には持ってるデータ全て出して見てもらいたいんだけど、我慢。。

淡路島でお話した人が言ってた言葉がすごく心に響いた。
『うちの教授陣なんかもそうだと思うけど、ほんとはみんな脳のメカニズムがどうとかいうんじゃなくて、「タマシイ」を知りたいんだよ。表向きには言わないけどね。だから、流行に流されたりせずに研究ができる。それを、言わなくても、ブレずに持ってたらいいんじゃないかな。』

うん、知りたいのは、「タマシイ」なんだよね。そして、脳を調べている。なんとなく、この2つのことは、混同してあやふやにせずきちんと向き合う必要があるな、てのは分かって来た。

***

ところで毎度のことながら日程がかなりきつい。朝8時受付なので京都から当日行くのは無理だし、前日行くなら実験を繰り上げないとならないので、往路は仕方なく夜行バス。明け方着いてそのまま会場へ移動である。寝癖がついたまま発表しなくてはならないかもしれないのもきついけどちょっと実験2日間空けるのがきつい。不安。

***

愚痴を吐いたところで最後に一応宣伝。

今回の神経科学は16日(2日目)の学習/長期記憶2のセッションで、「探索方略の柔軟な転換に関わるサル前頭前野の神経活動」というタイトルでポスター発表します。朝8時から終日ポスターの前に立っているつもりなので、もしご都合があえば聴きに来て頂けると嬉しいです。

それでは。

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五山送り火。

昨日の京都は五山送り火。午後8時、実験の手を休めて、研究棟の屋上に上がって少し見て来ました。
どうしても余裕が無く、なかなかお盆休み、という気分にもなれないのですが、やはり季節を感じる、というのは良いものです。
この建物はこの日だけ屋上が開放されるのですが、鳥居形以外は綺麗に見渡せるので近場にしてはなかなか良い場所です。(外部の人は入れませんが)

今年の送り火は被災地の松を使う、使わないで揉めた経緯があり、転入とはいえ京都市民としてとても残念に思いました。元は善意から始まった企画だったのでしょうが、長い伝統ある行事という性質、被災地の尋常ならぬ現状と被災者の方々の感情の双方を鑑みて、より広い意見を聞いて発案すべきだったかもしれません。

そういえば先日、8月6日に、広島でプロ野球の試合がありました。
66年前のこの日に原爆が投下され、後に球場が出来たものの、そのような日に原爆ドームと目と鼻の先の球場で野球に興じるのは不謹慎とのことで条例で使用が制限され、53年間その日は広島での試合は行われませんでした。それが球場の移転に伴い開催が可能になったのですが、やはり広島の人々にとって特別な日ということで、戸惑いの声もあったようです。

ちょうど日本テレビでこの日の試合の演出に関わった球団の方々のドキュメントが放送されたので、その舞台裏の一部を見る事が出来ました。戦争を知らない世代のスタッフが、50年以上行われなかった日の試合開催の是非を自問自答しながら、実際の被爆者の方々を訪問し意見を請う。もう66年経ったのだから問題ないという意見、この日は静かに過ごすべきという意見、賛否両論ある中で彼らが出した答えは、「野球ができる平和のありがたみを噛みしめる意味を込めた試合の開催と同時に、この日を決して忘れないようなセレモニーを」 ということでした。

忘れてはならないこと、次の世代にも伝えていかなければならないことを、単なる儀式としてだけでなく色鮮やかに伝えていく。単純な善意だけではなく、きちんと向き合って勉強して考えていくことが大切だと感じます。

平和の実現が難しいのは、純粋に平和を願うことが時に戦争の引き金にもなるところにあると思います。宗教、経済、政治論理、正義という名の下に価値観や思想を無理矢理に押し付けようとして、未だに世界のあちこちで紛争が起こっています。

全てが一様に統一された世界平和等というものは幻想に過ぎず、現実としての平和は共存するコミュニティ同士が均衡を維持することでしか産まれません。核兵器をはじめとする軍事力の肥大化した現代では個々のコミュニティが持つエネルギーが余りに大きくなりすぎて、積み上がったジェンガのようにバランスをとるのが難しくなってきています。

科学、特に神経科学は、平和の実現に何か寄するところがあるでしょうか。
その答えはわかりませんが、相手がどのように考えているのか、その大元となる思考の基本原理とは何か、そのようなことが理解されていけば、もしかするとそれがお互いを認め、問題を平和的に解決することに繋がるかもしれません。

普段動物と接していると、嫌がることをすれば怒るし、喜ぶことをすれば喜びます。一見当たり前の事のようですが、ヒトでは少し違っていて、心の底にある感情を抑制し振る舞うことで、相手に与える印象をうまくコントロールすることができます。それは巧妙な社会適応の仕組みでもあると同時に、誤解を生み、不信感の火種にもなります。インターネットの普及などでどんどん多様化するコミュニケーションは、未知の相手の内面を窺い知ることに役立ち初めています。

原爆を広島、長崎へ投下した米国側の言い分、それを聞いて、子供の頃は、仕方なかったことなのかもしれないとも思いました。しかし成長するに従って、命の大切さ、1つの命が失われることの事の大きさを痛感し、やはり到底納得出来るものではないと考えを改めました。何故戦争が起こり多くの人が亡くなり、なぜ特攻兵器が使用され、そして原爆がつかわれたのか。答えはでなくとも、世界中で議論され、記憶されるべきことです。

科学者として平和に寄与したいなどという高尚な志は持ち合わせていませんが、悲しんでいる人がいることを見聞きするとやはり辛い。悲しみがゼロにはならなくとも、世の中の不条理が少しでも解決し、誤解から生まれる悲しみが無くなればよいのに、と思います。

そろそろ夏も折り返しです。今年は節電の関係で、暑い夏を過ごされてる方も多いかもしれません。
早く過ごしやすい季節になると良いのですが。

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ストレスと精神刺激薬。

刑事的、社会的に厳しい罰が設定されているにも拘わらず、ストレスから薬物乱用に至るというケースは後を立ちません。このような事象からは、ストレスによって薬物への嗜好性が高まるという、生理学的背景が示唆されます。
一方で、制御不能なストレスに長期間曝されることで全く食欲が無くなる、楽しいことへの興味が喪失するといった「無快感症(anhedonia)」を呈することも知られています。
これらは同じストレスというものに対する反応であるにも拘わらず、何らかの報酬に対して真逆の反応を示していると言えるわけで、その生理学的メカニズムは注目すべきところです。

Miczek, K.A.(2011) では、与えられるストレスの質や量によって実際にその後の行動、特に精神刺激薬に対する反応に異なる影響が出ることを示しました。
社会的敗北(social defeat)のモデルとして、ケージ内で被験者ラットを別の大きい種類のラットと対峙させます。すると体の小さい被験者ラットは追い回され、ついには相手にお腹を向けて後ろ足で立つ、降参のポーズをとります。

この研究ではこのようなストレス実験(5分程度)を3日置きに1度、合計4回だけ行う一時ストレス群、そしてこのストレス実験を毎日、36日間行う継続ストレス群が設定されました。体重増加率の鈍化、砂糖水の摂取量の減少、活動性の減少などは、継続ストレス群に強いことが観察されました。これらは継続ストレス群でより強いストレスが加わったことを示しています。

しかし、ストレス実験後にコカインを注射すると、一時ストレス群のラットは活動性が上昇したのに対し継続ストレス群では変化が見られませんでした。また、特殊な装置によりラットが自分自身にコカインを注射することができるようにしてやると、一時ストレス群では自己注射が増加したのに対し継続ストレス群ではむしろ減少するという結果が得られました。これらの結果は、間欠的なストレスにより薬物への嗜好性・反応性が上昇すること、そして長期的な制御不能ストレスにより快楽への指向性が喪失することを示唆しており、ヒトにおける薬物乱用のモデルとして相同的なものと考えられます。

更にMiczekらはこのような現象の脳内メカニズムを探るべく、側坐核(NAc)におけるドーパミン濃度と、その投射元である腹側被蓋野(VTA)における神経細胞の活性を調べました。
マイクロダイアリシスという手法で生体内でドーパミン濃度を測定した結果、NAc shellにおけるドーパミン濃度の基底値は、一時ストレス群では高く、継続ストレス群では低く変化していたことがわかりました。また投射元のVTAにおける細胞活性を調べるための指標として、シナプス形成に重要な脳由来神経栄養因子(BDNF)、そして活動電位が起こったことを示すc-fosという蛋白質の発現の度合いを調べたところ、これらが一時ストレス群では多くなっているのに対し、継続ストレス群では低い値になっていることがわかりました。これらの結果は、このVTAからNAc shellへ投射するドーパミンニューロンの活動が、精神刺激薬への嗜好性とリンクしていることを示しています。

以上のように、同じストレスという刺激に対する反応の変化ということが、実験室レベルで再現され、またその神経メカニズムについてもドーパミン細胞の関与が示唆されたわけですが、どのようなストレスの与え方が本質的に効いているかというところは今後の課題と考えられます。一時ストレス群ではストレス実験の後に3日間のインターバル期間を設けていますが、その期間にどのような変化が脳内で生じているのかというところも気になるところです。
また薬物乱用を反復するヒトにどのような生理学的変化が生じているのか、またどのような治療を行うべきかを考える上で、参考になりそうです。

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話は変わって、ケタミンに関する論文。ケタミンは超短期的な麻酔薬として筋肉注射で使える手軽さから、動物用麻酔として重用されてきました。こちらもやはり乱用が問題となり麻薬指定された経緯から社会的な問題となっていますが、一方でその極めて即効性の高い抗精神病薬としての作用が注目されています。

Autry, A.E. (2011) では、ケタミンに代表されるNMDA受容体阻害薬が不安行動を減少させる効果の時間経過を調べました。マウスが未知の状況で体がこわばって動かなくなる時間を測定し、ケタミン群と統制群(生理食塩水を注射)で比較したところ、ケタミン群では導入後30分で既に有意な不安行動の減少(つまり活動性の上昇)が見られ、その効果は1週間後まで持続していました。

続いてAutryらはケタミン導入後の海馬におけるBDNF発現量を調べ、これがケタミン導入直後に上昇し、24時間後には元の値へ戻っていることを発見しました。またAMPA受容体阻害薬であるNBQXを用いた実験でAMPA受容体を介した細胞活性化が重要であること、更にBDNF合成を抑制する因子であるeEF2(CaMKⅢ)の脱リン酸化による脱抑制が関与することを示しました。

これらの実験から、NMDA受容体阻害によるAMPA受容体活性化を介したBDNF合成促進によりシナプス形成が促進され、即効性を持ちつつ長期的な作用を得るというケタミンの作用機序が示されました。

SSRI等の古典的な抗うつ薬は効果発現までに日数がかかってしまうことから、このような即効性の効果は急性期のうつ病における自殺抑止に有用である可能性があり、今後の創薬へ良い示唆を与えそうです。

<Reference>
Miczek KA, Nikulina EM, Shimamoto A, Covington HE 3rd.
Escalated or Suppressed Cocaine Reward, Tegmental BDNF, and Accumbal
Dopamine Caused by Episodic versus Continuous Social Stress in Rats.
J Neurosci. 2011 Jul 6;31(27):9848-57.

Autry AE, Adachi M, Nosyreva E, Na ES, Los MF, Cheng PF, Kavalali ET, Monteggia LM.
NMDA receptor blockade at rest triggers rapid behavioural antidepressant responses.
Nature. 2011 Jun 15;475(7354):91-5. doi: 10.1038/nature10130.

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